修論提出から2週間が経った

以前このような記事を書いた。

nadoha.hatenablog.com

その後、無事に(?)〆切最終日の12月8日の午後、修士論文を提出した。その後ひどい無気力におそわれ、ブログを書くことができなかったが、提出から2週間経ったいま、少しだけ元気が出てきたので、思い出せるうちに記憶を書き出しておこうと思う。

上の記事を書いた11月26日は、自分の論文の決定的な欠陥に気づいた日だった。指導教員に共有していた3章の本文を削除し、グーグルドキュメント上に「全体的に大幅に書き換えています。すみませんが、完成するのがかなり遅くなりそうです。」との文言だけ残した。この時点で、修論が仕上がらないことは覚悟していたので、これは指導教員への試し行動的なものでもなんでもなく、ただ「書けないかもしれませんよ」という雰囲気を醸し出しておこうと思ったのだ。

このときほんとうにすべてを投げ出したい気分になった。根本的になにかが間違っていると思った。しかしすこし冷静になって(えらい)、いったんブログを投稿するなどして頭を冷やし、書けるところから書こうということで、惨憺たる3章をいったん置いて4章をさきに仕上げることにしたのだった。さいわい、4章はそれから3日間で比較的うまくまとまった。

(いや、じっさいはかなり苦労したようで、11月27日の日記には、「ごみみたいな論文」「病気。わたしも病気だし、あなたも病気」、28日の日記には、「終わらないのではないか、という気がほんとうにしてきた。毎日記憶がない。人間性を保ちたいという思いが一番。根本的に何か間違っているのではないか」等の限界を迎えた人間の言葉が記されている)

11月29日にはグーグルドキュメントに次のようなコメントを追加している 「第4章はとりあえず最後まで書きました。ただ、三章が、まったく意味不明に思えてきて、苦慮しているところです。できる限りがんばります・・・。最後の「結」は論文全体の結論の書きかけです」。4章が仕上がったことで一瞬だけ前向きになる。しかし、3章は思った以上にひどい有様だった。それから数日間のあいだ、絶望と苦悩の阿鼻叫喚が続く。

30日「日に日に起きるのがつらい。」「手紙を書くイメージ」。わたしの研究が多くを負い、そしてとても尊敬している研究者に私的な感謝を書き綴ることを想像したことで、なにかぼんやりとつかめたようだ(論文とは異なる様式で表現することが自分の考えを整理するのに役だったのだろう)

12月1日。「頭がおかしくなりそう。発熱?指導教員にみてもらえないの、なにかの試練なのか?もっと人の意見をちゃんと聞けば良かったのかもしれない」

人間不信におちいると同時に、自分のこれまでの態度を反省しはじめる。

12月2日。「朝起きたときの不安と起きたくない気持ちが日に日に高まっている」孤独と自己嫌悪のせいでほとんど鬱状態になっていた。提出まで1週間を切る。図書館で新しい資料に助けを求めるとしたら今日がタイムリミットだろう。一種の賭けのような気持ちで家から遠いキャンパスまで行き、以前先輩にすすめられた本と、目に付いたいくつかの本を借りる。ふらふらの状態で大学の前にある喫茶店でやたらと辛いカレーを食べたのを覚えている。日記には論文のアイデアの断片もいくつか記されている。必死だった。

12月3日。先日仕上げた4章に、ようやく指導教員からのコメントが届く。わりと好評。つくづくかれの承認の有無に振り回される。

12月4日。なにがどうなったのか、ここで二度目の破綻を迎える。原因は多分、もともとあった素材を生かして最小限の努力でまとめようとしたことが裏目にでて、整合性がどんどん失われていったことだ。4日の昼、ついに半分諦め、以下のようなコメントを残す。「書き終わらない可能性が結構高いです。書き終わらないというか、まとまらないです。」まとまらない。ほんとうにまとまらなかった。これをみた指導教員はいつにない速さで返信してきた。まとまらなくてよい。なんとなく軸があればよいから、とにかく仕上げなさい、と。有無をいわせぬ言葉に奮起したのだろうか? それとも指導教員に見捨てられるのが恐かったのか? なにが起こったのかまったくわからないが、同じ日の日記には「終わりが見えてきた気がする」という正反対の言葉が残っている。たった数時間のうちになにかつかめたのかもしれない。この時点で提出の4日前である。

12月5日。記憶も記録も曖昧にしか残っていないが、たぶんなんとかまとまりかけてきた。それでもひどく頭がぼんやりしてつらかったような気がする。

12月6日。この日は頭がすっきりしていて少し希望を感じたのを覚えている。原稿も進んだようで、「今日中にたぶん結論まで書けるのではないかと思います。」というコメントを伝えている。しかし実際にはそこまでは書けなかった。悪夢の3章はなんとか仕上げたものの、結論と序論、いくつかの欠落部分を残してこの日は力尽きた。というか、次の日は修論の〆切前日で、徹夜になることが目に見えていたので、この日はちゃんと寝ておきたかったのだ。

12月7日。提出前日。起床直後のメモに「今日が来てしまった」とある。欠落部分を書き終えると、いちおうこれまで書いたものを印刷して読み返し、瀕死状態で結論を書く。序は1章の最初がわりと導入っぽくなっているので必要ないと判断して書くのを諦めた(そんなことある?)。註と参考文献リストを作る。間違いと抜けだらけになった。

もちろん寝ることはできず、翌8日、日が昇ってきた頃にフランス語の要旨を作りはじめた。そして11時ごろ、すべての作業を終え、近所のコンビニで印刷をし、提出のため大学へ向かった。だれにも会いたくなかったので学生室を避け、追加で必要になった印刷はコンビニでやった。書き上げたときも、印刷して製本したときも、提出したときもただただ疲労と虚無のなかに浸かっていてなんの感慨もなかった。提出後、研究室への事務連絡と両親への報告を済ませ、ぼやぼやと帰路についた。

ぎりぎりすぎて完成稿を見せることもしていなかった指導教員に、少ししてからメールを送ると一瞬で返信が来て、そこには心配していたが出せて良かった、面白い観点はいくつもあり、あれで修論として通らないことはないと思う、等のことが書かれていたが、それに続いて「邦訳のない小説を分析して、よく頑張ったというのが最初の印象です」とあり、それを見た瞬間、なにかを感じる前にいきなり涙がぶわーっと出てきて自分でもびっくりした。電車のなかでひとりで号泣した。どれだけじぶんが承認と労いに飢えていたのかというのを思い知った。「よく頑張った」という、論文の出来ではなく単純に努力をみとめるだけの言葉に、こんなにやられるとは思わなかった。

 

以上が論文が破綻してからなんとか提出に漕ぎ着けるまでの過程である。疲れたのでいったんおわり。反省とかはまたこんど・・・