2月の振り返りと3月の目標

2月(+3月の七日間)になしたこと

 

・飲み会たくさん

・論文の口頭審査

・仮免取得

 

少しあたらしい研究をはじめたりもして、修論後の無気力から回復しようとしたけれど、いまだに沈滞のなかにいる。緊張を強いられる機会が多く消耗した。食生活も乱れ、久々に肌荒れに悩む。生理も10日以上遅れている。きわめつけは、3月になってから起こったとある出来事だった。何も考えず、自分の生を生きようとしていないからそのようなことになったと思っている。ほどよい緊張と緩和のリズムを取り戻すこと。

2月でよかったと思うのは、家計管理がしっかりとできたこと。つまり、支出を予算内におさめたということ。きちんとやりくりができただけで偉い。今後はもう少し、使うべきところにお金を使う、ということができるようにしたいところ。

 

3月の目標

・朝きちんと起きる。

・精神と身体をきちんと動かすこと

・敬意と節度をもつこと

・やりたくないことをやらない。会いたくない人に会わない。やりたいことをやり、会いたい人に会う。

・書くこと、話すこと、読むこと、聞くことをバランス良く

・身だしなみ。体型、姿勢、言葉遣い、清潔さ(整髪、服や持ち物の汚れを取る、歯をみがく)に気を付ける。誰も見ていないところでもしゃんとすること。

 

修論提出から2週間が経った

以前このような記事を書いた。

nadoha.hatenablog.com

その後、無事に(?)〆切最終日の12月8日の午後、修士論文を提出した。その後ひどい無気力におそわれ、ブログを書くことができなかったが、提出から2週間経ったいま、少しだけ元気が出てきたので、思い出せるうちに記憶を書き出しておこうと思う。

上の記事を書いた11月26日は、自分の論文の決定的な欠陥に気づいた日だった。指導教員に共有していた3章の本文を削除し、グーグルドキュメント上に「全体的に大幅に書き換えています。すみませんが、完成するのがかなり遅くなりそうです。」との文言だけ残した。この時点で、修論が仕上がらないことは覚悟していたので、これは指導教員への試し行動的なものでもなんでもなく、ただ「書けないかもしれませんよ」という雰囲気を醸し出しておこうと思ったのだ。

このときほんとうにすべてを投げ出したい気分になった。根本的になにかが間違っていると思った。しかしすこし冷静になって(えらい)、いったんブログを投稿するなどして頭を冷やし、書けるところから書こうということで、惨憺たる3章をいったん置いて4章をさきに仕上げることにしたのだった。さいわい、4章はそれから3日間で比較的うまくまとまった。

(いや、じっさいはかなり苦労したようで、11月27日の日記には、「ごみみたいな論文」「病気。わたしも病気だし、あなたも病気」、28日の日記には、「終わらないのではないか、という気がほんとうにしてきた。毎日記憶がない。人間性を保ちたいという思いが一番。根本的に何か間違っているのではないか」等の限界を迎えた人間の言葉が記されている)

11月29日にはグーグルドキュメントに次のようなコメントを追加している 「第4章はとりあえず最後まで書きました。ただ、三章が、まったく意味不明に思えてきて、苦慮しているところです。できる限りがんばります・・・。最後の「結」は論文全体の結論の書きかけです」。4章が仕上がったことで一瞬だけ前向きになる。しかし、3章は思った以上にひどい有様だった。それから数日間のあいだ、絶望と苦悩の阿鼻叫喚が続く。

30日「日に日に起きるのがつらい。」「手紙を書くイメージ」。わたしの研究が多くを負い、そしてとても尊敬している研究者に私的な感謝を書き綴ることを想像したことで、なにかぼんやりとつかめたようだ(論文とは異なる様式で表現することが自分の考えを整理するのに役だったのだろう)

12月1日。「頭がおかしくなりそう。発熱?指導教員にみてもらえないの、なにかの試練なのか?もっと人の意見をちゃんと聞けば良かったのかもしれない」

人間不信におちいると同時に、自分のこれまでの態度を反省しはじめる。

12月2日。「朝起きたときの不安と起きたくない気持ちが日に日に高まっている」孤独と自己嫌悪のせいでほとんど鬱状態になっていた。提出まで1週間を切る。図書館で新しい資料に助けを求めるとしたら今日がタイムリミットだろう。一種の賭けのような気持ちで家から遠いキャンパスまで行き、以前先輩にすすめられた本と、目に付いたいくつかの本を借りる。ふらふらの状態で大学の前にある喫茶店でやたらと辛いカレーを食べたのを覚えている。日記には論文のアイデアの断片もいくつか記されている。必死だった。

12月3日。先日仕上げた4章に、ようやく指導教員からのコメントが届く。わりと好評。つくづくかれの承認の有無に振り回される。

12月4日。なにがどうなったのか、ここで二度目の破綻を迎える。原因は多分、もともとあった素材を生かして最小限の努力でまとめようとしたことが裏目にでて、整合性がどんどん失われていったことだ。4日の昼、ついに半分諦め、以下のようなコメントを残す。「書き終わらない可能性が結構高いです。書き終わらないというか、まとまらないです。」まとまらない。ほんとうにまとまらなかった。これをみた指導教員はいつにない速さで返信してきた。まとまらなくてよい。なんとなく軸があればよいから、とにかく仕上げなさい、と。有無をいわせぬ言葉に奮起したのだろうか? それとも指導教員に見捨てられるのが恐かったのか? なにが起こったのかまったくわからないが、同じ日の日記には「終わりが見えてきた気がする」という正反対の言葉が残っている。たった数時間のうちになにかつかめたのかもしれない。この時点で提出の4日前である。

12月5日。記憶も記録も曖昧にしか残っていないが、たぶんなんとかまとまりかけてきた。それでもひどく頭がぼんやりしてつらかったような気がする。

12月6日。この日は頭がすっきりしていて少し希望を感じたのを覚えている。原稿も進んだようで、「今日中にたぶん結論まで書けるのではないかと思います。」というコメントを伝えている。しかし実際にはそこまでは書けなかった。悪夢の3章はなんとか仕上げたものの、結論と序論、いくつかの欠落部分を残してこの日は力尽きた。というか、次の日は修論の〆切前日で、徹夜になることが目に見えていたので、この日はちゃんと寝ておきたかったのだ。

12月7日。提出前日。起床直後のメモに「今日が来てしまった」とある。欠落部分を書き終えると、いちおうこれまで書いたものを印刷して読み返し、瀕死状態で結論を書く。序は1章の最初がわりと導入っぽくなっているので必要ないと判断して書くのを諦めた(そんなことある?)。註と参考文献リストを作る。間違いと抜けだらけになった。

もちろん寝ることはできず、翌8日、日が昇ってきた頃にフランス語の要旨を作りはじめた。そして11時ごろ、すべての作業を終え、近所のコンビニで印刷をし、提出のため大学へ向かった。だれにも会いたくなかったので学生室を避け、追加で必要になった印刷はコンビニでやった。書き上げたときも、印刷して製本したときも、提出したときもただただ疲労と虚無のなかに浸かっていてなんの感慨もなかった。提出後、研究室への事務連絡と両親への報告を済ませ、ぼやぼやと帰路についた。

ぎりぎりすぎて完成稿を見せることもしていなかった指導教員に、少ししてからメールを送ると一瞬で返信が来て、そこには心配していたが出せて良かった、面白い観点はいくつもあり、あれで修論として通らないことはないと思う、等のことが書かれていたが、それに続いて「邦訳のない小説を分析して、よく頑張ったというのが最初の印象です」とあり、それを見た瞬間、なにかを感じる前にいきなり涙がぶわーっと出てきて自分でもびっくりした。電車のなかでひとりで号泣した。どれだけじぶんが承認と労いに飢えていたのかというのを思い知った。「よく頑張った」という、論文の出来ではなく単純に努力をみとめるだけの言葉に、こんなにやられるとは思わなかった。

 

以上が論文が破綻してからなんとか提出に漕ぎ着けるまでの過程である。疲れたのでいったんおわり。反省とかはまたこんど・・・

修論

修論が危機に陥っている。

この状況にどう対処するかということを書き残すことは、後学のためにも良さそうなので、ブログを書くことにした。

まず、第三章が断片的すぎる。全然なにが言いたいのかわからない。読者を置き去りにしている。要約不可能な文章を書いてしまっている。これでいいと思っていた気がする。恐ろしい。

いまある材料を生かして精いっぱい筋道を立て直そうとしているが、小手先のことではどうにもならないのではないかという気がしてきた(2日取り組んだ結果)。

いちど4章を書き終わってから、文献を読み直すところから始めた方がよい。

落ち着いて誠心誠意やるしかないと思う。

 

体調について

きのう、お酒を沢山飲んで、ふだん食べないようなジャンクフードをおなかに詰め込んで苦しくなって救急車を呼ぶかどうか本気で考えた。友達にも迷惑をかけた。

今日は休みにしたので、これを機にじぶんの身体と精神について振り返って記録しておきたい。思いつくままに書いていく

きのうは二週間近く集中して書き続けてついに一区切りつけた日で、ドライブにアップして授業に向かった。お知らせを見ていなくて知らなかったのだが、授業は休講になっていて、苦手な後輩といっしょに帰ることになってしまった。こういうとき、図書館に行くねとか、適当に言って逃げればいいし、そういう選択をとったこともあるのに、その日は講義で会うつもりだった指導教員に会えなかったショックと積み重なった疲れとで少しぼーっとしていてうまく判断できなかった。後輩の死ぬほどつまらない話を聞くと、自分が好きな先輩に対してとっていた稚拙な態度を思い出してつらくなってしまう。自分のこういう投影的なところはほんとうによくないと思うが、なかなか変えられない。ツイッターを辞めた今でも苦手な人のアカウントをしょっちゅうのぞきにいっては、わき上がる嫌悪感を「もはやわたしはこのひととはちがう」(そのひとは過去の自分でもなんでもないのだが)ことのあかしとせずにはいられないのだ。わたしはその後輩に優しく接することで、かれの幼さが「もはやわたしとはなんの関係のない」ものであることを確認したかったのだ。病気だと思う。

ここ最近、5.6日間ほど連続で酒を飲むことがあった。飲み方はいつも同じで、執筆を朝から晩までやったあとに、休みモードに切り替えたくて、ビール1缶を買ってつまみもなにもなく飲む。飲酒自体あまりよくないがそれでもこの飲み方はじぶんに合っていると思った。論文締め切り前になると、夜まで机に向かうようになるので、この飲酒習慣がつくことがしばしばある。

昨日は気絶したかったけど、結局長時間苦しんだうえで12時過ぎに眠った。

二日酔いに生理の2日目が重なって、今日は16時くらいまで布団に入っていた。延々とスマホを見ていた。

生理も自分の身体も調子がおかしい。年々胸とおしりが丸くなり、肌がつやつやになっていっているような気がする。これは少しもよいことではない。自分の胸を見るたびに動物を見ているようなグロさを感じる。

湯船につかるようにして週に数回運動をするようになってから、生理前の不調がほとんどなくなった。体調は良くなっていると思っていたが、食べもののことを考えることが増えていったし、死にたいという考えることも増えていった。論文がひと区切りついた瞬間これだ。体調の良いふりをしていただけだった。

おなかがすいてないのに食べてしまうとき、じぶんはなにを探しているんだろうと思う。

最近朝集中できなくなってもいた。朝から昼はとにかく食欲に悩まされて、夕方以降徐々にペースが上がるという感じ。このリズムが良くないことはわかっているけど、差し迫っているときは仕方がないと考えてしまう。

もうお酒をひとりで飲むのを一切やめようと思う

もっとおちついて くらしたい

10月の振り返りと11月の目標

修論がつらいが、やるしかない。

15日までに今書いている章を仕上げ、全体を21までには書き上げ、22に面談する。

10月からバイトも減らし、11月は完全に休ませてもらい、授業もほぼなく、修論にだけ集中できる。フランス語のレッスンだけは続けている。フランス語はだいぶ聞き取れるようになってきた。走ったり歩いたり湯船につかることを心がけるようにしてからすごく体調が良い。食事も色いろやってみたけど、シンプルに白米と納豆を食べているときが一番良い気がする。たんぱく質や食物繊維、果物は食べ過ぎるとすごくおなかの調子が悪くなる。あとトマトジュース、少しのチーズは良い。自分の身体の声を聴くこと。

後悔しないように!

8月の振り返りと9月の目標

8月が終わってしまう・・・

 

8月に成したこと

・原稿、さまよい中

・バイトたくさん入った。

・3人くらいとサシでご飯。

・いろいろ難しかった

 

わたしのなかで8月はまだ終わっていない(ことにしたい)のであんまり書くことがない。

 

9月の目標

毎日小説を読み進める

紙の編集スキルをつける

生理とうまくやる

書くように話し、話すように書く

 

以上 つらい

生理前 つらい

生理前あるある

・「生理 つらい」「生理前 不調 改善」「生理 悔しい」等のワードで検索する。「リラックスしましょう♪」「大変ですよね汗」「性教育!!」等がヒットする。どれも違う。

・あらゆる記事が口を揃えて述べるのが「困ったら婦人科」だが、婦人科に行く経済的余裕はない。大学の健康センターに無料の婦人科を作ってくれ。

・生理前の流れは以下のような感じ 排卵っぽい感じ〜肌荒れ〜便秘〜眠気〜乳首痛い〜情緒〜いろんなメンバーが次々に登場する。そのうえで生理というラスボスがやってくる。

・生理の苦痛を怨念に変換してしまう癖があり、ほんとうにやめたい。金で全部解決したい。

・だからといってピルを飲みたくはない。理由は色々。

漢方薬はくそまずいが、その割に効果が穏やか♪なのでいっそう理不尽な気持ちになってしまう。錠剤ならよいかもしれない。

・抵抗しようとすることが無駄ってことをはやくわかったほうがよい

・便秘が地味にしんどい 

・生理というのは悪天候とか災害のようなものなのだが、「暑いですね―」とかって言えない。穢れなので。

・わたしは穢れている

ぴえんーー